まるしてんblog 美作地方.岡山県をつらつら

美作地方、岡山県の交通、民俗、方言など

水不足・・・旭川水系20年ぶりの取水制限

こんにちは。

暑い日がつづきます。

今年、岡山県は観測史上(1951年以降)最も早い梅雨明け(6月28日)。そして梅雨の期間の最短記録(14日間)となりました。

こうなると水不足(=渇水)が心配です。

7月4日岡山県は旭川流域で20年ぶりとなる取水制限が始まりました。具体的には第一次取水制限として上水道と工業用水が10%、農業用水は30%カットされます。

 

さて岡山県には3大河川と呼ばれる水系があり、現在のそれぞれのダムの貯水率は以下のとおりとなっています(写真)。

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同じ岡山県内でも旭川水系の貯水率が異常に低くなっています。

旭川水系だけ雨が降らなかったということは現実的にはあり得ないと思うので、なぜ今回このような事態になっているのか。

考えられる要因としては、昨年の冬から今年にかけて行った湯原ダムのゲート工事の影響が考えられます。

もちろんこの工事は、安全上絶対に必要なことなので責任追求をする立場ではありません。

農業用水などの需要が少ない冬に、普段は水没している場所が見えるほど水を抜いたいて工事をした後、少雨(雪)で予測したほどダムに貯水ができなかった影響があると考えられます。

(ダム貯水率の推移が正確にわからないのであくまで推論です)

 

しかも旭川水系は主要なダムが下流旭川ダムと2ヶ所しかないため、下流での調整も難しかったと思います。

 

ちなみに7月4日時点の湯原ダムの貯水率は18.7%、旭川ダムの貯水率は31.4%、旭川水系全体の貯水率は22.3%と平年(66.1%)を大きく下回り、なおかつ平成6年の全国的な水不足で旭川水系では初めて取水制限を余儀なくされた時の数値(平成6年8月17日)を下回る数字です。(当時の山陽新聞記事の切り抜き参照)

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平成6年の渇水では、旭川水系では8月17日から9月30日にわたって、上水用水が最大20%、工業用水が最大20%、農業用水は最大30%の取水制限となり、旧北房町真庭市)の一部地域では断水が実施されました。また、岡山駅前の噴水や西川緑地公園の壁水も停止されています。

今後が大変心配です。現在台風4号が本州に接近していますが、被害なく恵みの雨を降らせてもらいたいものです。

 

なお現時点で、高梁川水系貯水率は58.1%(平年は84.1%)、吉井川水系は92.5%(平年は95.3%)という状況です。

いますぐ深刻な水不足ということはないでしょうが、記録的な梅雨の短さと酷暑のなか水資源を大事にしていきたいものです。

 

祝 因美線全線開通90年

今日7月1日は因美線(津山・東津山鳥取間)が全線開通して90周年の記念すべき日です。

 

全線開通当時、地元は因美線にどのような期待を寄せていたのか、国会図書館で1923年7月1日の山陽新報(現在の山陽新聞の前身)の記事を閲覧したので、紹介します。

 

山陽新報はこの日、因美線全線開通を報じる記事を祝賀広告を含めて6面に渡り掲載していました。

因美線全線記念號」と名うって書かれた第4面の記事には、この日11時から津山で祝典が開催されることが紹介され、相互に結ばれる運命にありながら物見峠の峻険に阻まれていた山陰道東部の首都鳥取市山陽道北部の盟主津山市が物見トンネルの開通で2時間余で往来できるようになったこと。因美線の開通は中国鉄道(現在の津山線)や宇野線、本四連絡船によって山陰・山陽・四国を横断する重要な任務があると書かれています。

また、因美線の着工から全通に要した期間は18年。総工費は当時で691万円。1キロあたり95,000円の費用を要したこと。物見トンネルが最大の難工事であったことなどが詳細に紹介されています。

 

5面の記事では「陰陽両道の連絡上重要な役割にある津山」というタイトルで、以下のような記事が書かれています。

 

「中国鉄道の起こりは岡山ー津山ー米子のコースを目的とした倉吉・津山間鉄道敷設の請願も早く明治30年代に議会に採択されている。先年開通を見た伯備線も要するに岡山から津山市を経由して米子に達する中国鉄道予定線を以て国費の陰陽連絡船たらしめんとする計画を中途変更して岡山ー倉敷ー高梁ー新見ー米子コースに改め、加えて津山ー新見間を以て作備線となったに過ぎない。津山は陰陽連絡の最高、最要の地点にありながら今日まで一歩の遅れを見ていたのが今回因美線の開通によって元の重要地位に復帰した訳である」

 

要は津山は昔から山陰と山陽を結ぶ最重要拠点で、最初は鉄道が米子つく予定だったが、当時の国が津山を経由しない伯備線を作った。今回因美線が開通して岡山ー津山ー鳥取という路線が完成したのだから津山は復権するだろうという記事です。

 

こうした地元の大きな期待を背負って開通し、現在に至る因美線

現実は中国鉄道の国有化が昭和19年と遅く、陰陽連絡線として直通することが十分発揮できなかったこと。

その後昭和20ー30年代は津山線よりも姫新線を経由して姫路や関西方面との陰陽連絡線として旅客・旅客とも賑わった時期もありますが、沿線の過疎化や線路の近代化が遅れるなかでの高速道路の開通、さらには智頭急行が開通で陰陽連絡の役割も奪われ、現在では津山ー智頭間が存廃を含め協議の対象としたい路線としてJRから名指しされるに至っています。

因美線は10年後無事に100周年を迎えることができるのか。ありとあらゆる方策を考えていく必要があると思います。

 

 

因美線の主な出来事をまとめました】

1919年12月20日 鳥取ー用瀬間に軽便鉄道として因美線開通

1928年3月15日 因美南線 津山ー美作加茂間開通

1931年9月12日 因美南線 美作加茂ー美作河合間開通

1931年3月   物見トンネルが着工から2年5ヶ月で完成

1932年7月1日 美作河合ー智頭間開通で因美線全線開通

1934年9月21日 室戸台風により因美線大被害

1935年12月17日 因美線ラッセル車登場

1944年6月5日 東津山駅で脱線転覆事故 4人死亡

1957年9月   因美線内でディーゼル車運転開始(全線開始は翌年3月25日)

1960年5月   臨時列車で準急みささ運転

1960年10月1日 準急みささ運転開始(大阪ー上井、大阪ー津山間はみまさかを併結)

1962年9月1日 準急砂丘運転開始(鳥取ー津山ー宇野)

1963年4月1日 三浦駅開業

1966年3月5日 準急みささ、準急砂丘いずれも急行に昇格

1970年3月   因美線全線無煙化

1973年3月12日 因美線の貨物列車廃止

1984年8月10日 国鉄再建監理委員会 因美線第3次廃止対象候補にリストアップ

1989年3月11日 急行みささ廃止

1997年11月29日 急行砂丘廃止

2007年 みまさかスローライフ列車運行開始(臨時列車)

2018年7月5日 豪雨災害で因美線被災

 

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ちなみに津山駅では因美線鳥取方面行きが1番ホームです。


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今日から岡山県では岡山デスティネーションキャンペーンがスタートしました。

美作地方でも様々な趣向を凝らした観光キャンペーンや企画が多数開催されます。

津山駅の列車接近メロディも今日から当面の間、B’zの「イージカム・イージーゴー」が使用されるとのことです。

特に因美線には今も現役の近代化遺産が多数現存しています。

鉄道に興味のある方はぜひ足を運んでみてください。

個人の苗字が名付けられた踏み切り

こんにちは。

今日(23日)は「ふ(2)み(3)きり」の語呂合わせから踏切の日とされていて、特に梅雨時期で事故が多いとされる6月23日は重要視されています。

 

さてJRの踏切りには地名や近くにある施設(学校など)、交差する道(出雲街道など)にちなんだ名前が必ずついています。遮断棒や警報器もついていない踏切にもちゃんと名前がついていて、踏切の標識には踏切の名前とともに、どの駅の間にあるのか。起点から何キロ何メートルのところに踏切があるのか。事故があった場合の連絡先が書かれた看板が付けられています。

美作地方を走る津山線姫新線因美線は明治から昭和初期に建設されているため、主要国道を除いては立体交差になっている場所が少なくたくさんの踏切があるのが特徴です。

(平成に開通した智頭急行線には他の路線と並行しているところ以外は踏切がありません。)

 

その踏切のなかで津山では全国でも珍しい個人の苗字を冠した踏切が2箇所もあります。

その一つは以前紹介をした立石踏切(詳しくは1月10日「屋敷の敷地に踏切がある風景」をご覧ください)。

もう1箇所は津山線佐良山駅近くにある「田外(たげ)踏切」です。

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田外家は明治時代から現在の佐良山駅があるあたりで平成22年まで醤油の製造を行っていました。

開通当時、私鉄だった中国鉄道には佐良山駅はありませんでした。昭和8年に亀甲と津山口の間に新駅(高尾仮停留所)をつくることになった際に、田外家が無償で駅の土地を提供しました。そのため、この駅はできた当時地元から「田外駅」と呼ばれていたそうです。

田外踏切は当時醤油の製造工場があったあたりにあって、交差する道は今も舗装もされてい生活道路です。昔は警報器も遮断機もない踏切でしたが今は安全対策できちんと設置されているようです。

姫新線・因美線の存廃協議に対する沿線自治体の動向

こんにちは。

6月15日の山陽新聞のニュースで姫新線の存廃を含めた協議をJ R西日本が沿線自治体に求めたことに対する勝央町長の議会答弁が報じられました。

水嶋勝央町長は定例町議会で

「J Rと沿線市町だけでの問題ではない。路線をいかに残していくか、県や国を巻き込みながら活用方法などをいろいろな角度から検討していく必要がある」

「(赤字を理由にして)軽々に廃線ですという話ではなく近隣市町とタッグを組んで対応する」

と答弁しました。

同時に山陽新聞社の取材で、勝央町にはJ現時点でJ R西から協議の打診や相談は来ていないということも判明しています。

勝央町内には勝間田駅西勝間田駅の2駅が存在しています。

 

勝央町を含めて、これで5月19日にJ R西日本が「姫新線因美線の沿線自治体に今後の公共交通の在り方についての協議したいとの考えを順次伝えている」と明らかにして以降の、該当する(駅がある)岡山県内の市町の首長の態度をわかっている範囲で紹介します。

なお該当する市町とは美作市勝央町津山市真庭市新見市の5つの自治体です。

 

真庭市 美作追分美作落合古見、久世、中国勝山、月田、富原の7駅が存在

太田真庭市長は5月24日の定例議会の所信表明で

「(鉄道や高速バスなど)本来広域交通はJ Rやバス事業者と各自治体が個別に議論するのではなく、重要な政策として国や県が関与し、維持充実を図るべき分野です。小さな自治体には限界がありますが、市としてもJ R西日本や高速バス事業者に維持・存続や休止路線の復活を粘り強く働きかけていきたい」

「5月10日に中国市長会でJ Rローカル線などの課題解決に向けた検討会の設置を提案した」

「今後議会、市民と危機感を共有しながら積極的な対策を講じていきたい」

と答弁しています。(真庭市議会のH Pより)

そして、真庭市は沿線自治体でただ一つ、「5月18日にJ R西日本から説明を受けた」と回答しています。

(5月19日 山陽新聞デジタル)

 

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津山市 姫新線 美作大崎、東津山、津山、院庄、美作千代、坪井

     因美線 高野、美作滝尾、三浦、美作加茂、知和、美作河合 の計12駅が存在

津山市谷口市長は5月30日の記者会見で

廃線ありきという前提の話ではないと受け止めている」「(因美線姫新線の)利用促進が大事。県や沿線自治体としっかり連携を取りながら、利用促進を図っていかなくてはならない」と表明しました。

JR西日本からは「市に具体的な協議入りの説明はない」としています。

(5月31日 朝日新聞デジタル

 

美作市 美作土居美作江見、楢原、林野 の4駅が存在

6月13日に萩原美作市長は

定例市議会の一般質問で

「個々の路線が赤字か黒字かという議論よりも、鉄道ネットワーク全体をどう維持していくか考えていくべき」答弁しました。

また、同じく答弁に立った景山市民部長は

「沿線自治体とスクラムを組んで粘り強く利用促進と存続に向けた取り組みを強化していく」と答弁と市民に積極的な利用を呼びかけたと報じられています。

美作市もこの時点でJ R西日本から協議の打診はないと回答しています。

(6月13日 山陽新聞デジタル)

 

新見市 刑部、丹治部、岩山、新見 の4駅が存在

新見市は、すでに芸備線の在り方についてJ R西日本から一部区間の存廃を含めて協議を呼びかけられています。このことと合わせて、戎(えびす)新見市長は6月3日の定例記者会見で

「赤字路線は全国にあり、議論には国の関与が必要」

「一自治体がどうこうできる話ではない」と芸備線の在り方についての協議入りに否定的な考えを表明した上で、姫新線についても

「J Rから(協議の)打診や相談は来ていない」

「(利用促進に関して)沿線の自治体と協力していく用意がある」としています。

(6月3日 山陽新聞デジタル)

 

現在のところ、JR西日本から説明を受けているのは真庭市だけ。各首長からは、協議については個別ではなく県や国の関与を求める、存続のための利用促進が重要、沿線や近隣自治体との協力が必要という意見が多数出されています。

みなさんはどう感じますか。個人的には津山市長の「廃線ありきという前提の話ではないと受け止めている」という発言が他の自治体と比べてトーンが少し違うのが気になっています。

特に因美線については岡山県内の沿線自治体は津山市だけなので、智頭町や岡山・鳥取両県、近隣自治体も巻き込んだ取り組みや議論が必要になると思います。

 

鉄道のまち津山をアピールできるか

こんにちは。

今日、JR西日本岡山支社は「岡山デスティネーションキャンペーン」に合わせた「おか鉄フェス2022」のニュースの第二弾を公表しました。www.westjr.co.jp

第1弾ですでに概要が発表されていましたが、今回はその詳細などが明らかになっています。

このブログでは津山をはじめ美作地方に関わるものをピックアップして紹介します。

※第1弾で明らかになっていることは5月29日の記事で紹介していますので、そちらをご覧ください。

 

リバイバル急行砂丘号の運転日が明らかに

かつて津山線因美線を経由して岡山と倉吉を結んでいた急行砂丘をイメージした団体観光列車、リバイバル急行砂丘の運転日は8月11日(祝・木)に決まりました。

岡山10:50発 → 智頭14:16着  智頭14:50発→岡山18:17着

ノスタルジー列車で運行。乗車券はJRではなく、日本旅行が旅行商品として6月24日から発売するとのことです。

 

②観光列車「あめつち」が因美線を走って津山に

山陰本線で活躍している観光列車「あめつち」が団体列車として運転されることになりました。団体列車とはいえ、鳥取から津山まで因美線を全線走破する列車が走るのは久しぶりではないでしょうか。

ただし、このあめつちも旅行商品としての募集で、普通に乗車することができません。

日本旅行クラブツーリズムが取り扱い)

鳥取京阪神及び東京からのパック商品として取り扱われるようです。

時刻は

鳥取発 9:05発→(郡家・智頭に途中停車)→ 津山着 10:59

津山発 13:01発→(智頭・郡家に途中停車)→ 鳥取着 15:19 

7月31日(日)、8月6日(土)、8月13日(土)の3日間運転されます。

 

因美線全線開業90周年記念入場券セット発売

因美線全線開通90周年を記念して、津山から鳥取までの20駅の入場券と台紙のセットが7月1日から12月31日の間、限定3,000セットで販売されます。値段は3,500円。

津山・智頭・鳥取の3駅でしか発売はされないそうです。

 

因美線全線開業90周年の記念ロゴ発表

入場券セットの台紙にも描かれる因美線全線開業90周年の記念ロゴは津山工業高校の協力で作成されたそうです。もしかすると今後あちこちでみられるかもしれません。

 

津山ホルモンうどんが「おみやげ自動販売機」で購入可能

7月1日から新幹線の上りホームに「おみやげ自動販売機」が設置されます。

津山ホルモンうどん(冷凍)も取り扱われるとのことです。

 

⑥「六角精児と楽しむ津山ツアー」が開催

日本旅行岡山支店が企画。7月16日(土)〜17日(日)の日程で行われるそうです。

主な内容は岡山駅からノスタルジー車両を貸し切って津山に。津山まなびの鉄道館の見学などを行い、夜は六角さんのトークショーと夕食会が開催されるとのことです。

 

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企画されている観光列車が旅行商品となっていて、地元の人が乗ることが難しいという問題はありますが、県外からたくさんの観光客が津山に訪れ、鉄道のまち津山をアピールできる契機になることはもちろん、因美線の今後を占う上でも大事な局面です。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

上斎原の観光拠点が11月で閉館に

こんにちは。

6月3日の山陽新聞ニュースで岡山県の最北に位置する鏡野町上斎原にある「国民宿舎いつき」が老朽化を理由に今年11月29日をもって閉館するという大変残念なニュースがありました。

 

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上斎原地区は恩原高原スキー場や高清水高原や県立森林公園などがあり、観光産業が地元の経済や雇用に大きく影響するだけに今後が心配です。

山陽新聞によると鏡野町長は「近隣に観光スポットが多く、時代にあった宿泊施設を整備できるように早急に準備を進めたい」としていますが、壊してからしばらくの間は宿泊施設がなくなるのはいかがなものでしょうか。

 

上斎原村史によると、「国民宿舎いつき」は国道179線の整備がすすみ、高度経済成長に合わせ、スキーなどの観光が村の産業の重要な位置を占めるようになった1968年(昭和43年)に宿泊客を100名収容できる「国民宿舎 白雲閣」として建設されました。

当時の白雲閣は大変好評で1973年には増築され、年間の宿泊客が1万人を超えていた時代もありました。

上斎原村の観光客数も1976年には年間約43万人を記録しています。

 

しかし、バブル期に差し掛かると、安価な家族旅行のニーズが減り、国民宿舎の利用が伸び悩むようになります。1982年には村に挙式披露宴をする場所もなかったことから宴会場のリニューアル。そして1996年には全室にバス・トイレを設置、大浴場にサウナや岩風呂を作るなどの大規模な改装をおこない、名前も「国民宿舎いつき」に変わりました。

 

ここで上斎原村の年間観光客と国民宿舎いつきの年間利用者数の推移を紹介します。(岡山県観光客動態調査報告書より)

       上斎原村への観光客(年間)  国民宿舎年間利用者数

1965年   25,000人       (データなし)    

1970年  166,672人       22,554人

1975年  354,412人       17,014人

1980年  295,747人       29,383人

1985年  289,326人       16,137人

1990年  261,000人       23,155人

1995年  349,000人       10,401人

                      ※改築で一時期休館

2000年  246,000人       24,964人

2005年  212,000人       20,842人

2010年  185,000人       27,188人

2015年  185,000人       15,780人

2018年  160,000人       14,775人

2020年   75,000人        3,849人

 

上斎原への観光客も「いつき」の利用者もコロナ前とピーク時に比べると約半分になっています。

そしてコロナが観光に与えた深刻な影響は2020年の数値を見ると一目瞭然です。

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最後に個人的なことですが、私は「いつき」の温泉が大好きです。夏や年末年始に津山に帰省すると必ず家族で日帰り入浴に行きます。

「いつき」の温泉は昔からある湯の谷温泉のお湯と平成に入って掘削した温泉が使われていて、とても良質です。お近くの方はぜひ足を運んでみてください。

なお、「いつき」は閉館しても、隣接している日帰りの温泉施設「クアガーデンこのか」は今後も運営されるようです。

 

 

 

因美線・姫新線に突きつけられた課題③

5月19日にJR西日本岡山支社は定例記者会見で、姫新線因美線の沿線自治体に今後の公共交通のあり方について協議したいとの考えを順次伝えていることを明らかにしました。

山陽新聞の配信によると、平島支社長は因美線姫新線についていずれも大量輸送の特性が発揮できないとし「どのような在り方がいいのか議論させていただきたい。収支を含め(沿線自治体に)順次話している」と述べたとしています。

岡山県内の姫新線の沿線自治体は美作市勝央町津山市真庭市新見市因美線津山市が該当します。

4月にJR西日本が管内17路線30区間の収支を明らかにして以降、岡山県内の自治体の動きは他県と異なりほとんどありませんでしたが、JR西の意向が明らかになったからには協議が避けられなくなったといえます。

 

こうした厳しい状況の中で因美線は7月1日に全線開通90年を迎えます。

JR西日本岡山支社が同じ5月19日にプレスリリースした「おか鉄2022」(岡山DCに合わせた企画)によると、以下のイベント列車が因美線内でおこなわれます。

 

①急行砂丘号をイメージした団体臨時列車の運行(岡山ー智頭) ※詳細は未発表

②7月23、24日に みまさかスローライフ列車の運行(津山ー那岐)

 津山11:48発→那岐14:26着(智頭まで列車名なしで運転14:39着)

 智頭14:48発→那岐15:02発→津山16:17着

 

また、津山線では7月1日から観光列車「SAKU美 SAKU楽(さくびさくら)」の運行がスタートします。この列車は月曜は快速ことぶきに連結されて1日2往復、金〜日曜日は臨時列車として単独で運転されると発表されています。

この列車は全席指定で定員は40名前後。特製弁当やスイーツなどがついて片道5,200〜6,000円で販売されるそうです。※岡山ー津山間の途中下車はできないそうです。

 

(「SAKU美 SAKU楽」の発車時刻)

月曜日 岡山 9:47発→津山10:59着

    岡山13:05発→津山14:14着

    津山11:40発→岡山12:50着

    津山15:53発→岡山17:02着

金〜日 岡山10:50発→津山12:22着

    岡山14:33発→津山15:51着

    津山12:52発→岡山14:12着

    津山16:21発→岡山18:17着

 

観光だけで鉄道を存続させることは困難ですが、こうしたキャンペーンを活用しながら美作地方の鉄路の将来を発展的に考えることが必要ではないでしょうか。