まるしてんblog 美作地方.岡山県をつらつら

美作地方、岡山県の交通、民俗、方言など

因美線・姫新線に突きつけられた課題②

こんにちは

今日も美作の鉄道について書いていきたいと思います。

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まずは先日JR西日本が公表した資料から各線区の収入(運輸収入)と支出(営業費用)、そして収入から支出を差し引いた額を計算して示します。

合わせて100円の収入を生むためにいくら費用がかかるかを算出した営業係数と収支率も紹介します。(収入・支出・差し引き額の単位は万円で記載)

 

             収入   支出  差し引き 営業係数  収支率 

 因美線(智頭〜東津山) 2,000  41,000 ▲39,000  2,194   4.6%

 姫新線(上月〜津山)  5,000      47,000 ▲42,000  1,024           9.8%

 姫新線(津山〜中国勝山)7,000      49,000   ▲42,000   694         14.4%

 姫新線(中国勝山〜新見)2,000     37,000   ▲35,000   1,750         5.7%

(参考)

 姫新線(播磨新宮〜上月)8,000   70,000   ▲62,000   839   11.9%

 山陰線(出雲市〜益田) 8,000   43,600 ▲35,600   542        18.5%

 大糸線南小谷糸魚川)2,000   63,000   ▲61,000         3,431          2.9%         

 

表の見方ですが

例えば、因美線(智頭〜東津山)は1年間で2,000万円の収入がありますが、4億1,000万円を支出しなければならず、3億9,000万円の支出超過(≒赤字)となっている。100円の収入を得るためには2,194円かかるという感じでしょうか。

赤字額だけ見れば、因美線姫新線の津山周辺の区間より少ないです。

しかし、因美線姫新線(中国勝山〜新見)は、年間2,000万円程度の収入しか得られない=悪い言い方をするとお金にならない路線ということが明らかにされています。

ちなみに年間2,000万円という運輸収入は現在、JR西と沿線自治体で協議が始まっている大糸線と同じ水準であり、この点においても、いつ廃線も含めた協議を持ちかけられてもおかしくないといえるでしょう。

収入の少なさは運行本数が少ないことが大きな要因です。

例えば年間7,000万円の収入を上げている姫新線(津山〜中国勝山)は平日は12往復であるのに対して、2,000万円の姫新線(中国勝山〜新見)は8往復、因美線東津山〜智頭)は全線を走る列車は7往復しかありません。

列車を利用したくても本数が少なければ敬遠され、さらに減便されるという負のスパイラルも止まらなくなります。 

 

いい意味で注目したいのが、姫新線(津山〜中国勝山)の営業係数694という数字です。

この数字だけを見ると、高速化工事を行なったり新型車両が走る姫新線(播磨新宮〜上月)よりも成績が良いのです。

津山から中国勝山の間は国道179・181号線がほぼ並行していますし、中国自動車道と一部区間は重なります(院庄ー落合)

ともすれば不利に見える区間ですが、

①沿線の駅周辺の人口が比較的栄えている

②沿線に高校や病院が多い

③一部区間を除き、線形が悪くないため徐行区間が少なく、運休も少ない。

ことが挙げられるのではないでしょうか。

 

この数字は高速化工事を行なっている姫新線(播磨新宮〜上月)よりも営業係数だけで見ると良く、特急を走らせて収入を増やしている山陰線にも見劣りしない数字です。

このような数値になっている理由は、具体的には運行本数を可能な限り減らしたり、編成を短くして車両維持費を少なくしたり、徐行区間を作って線路の保線を効率化するなど、合理化・経営努力の賜物だと思います。

しかし絞るだけでなく、個人的には津山を中心にした通学圏、中国勝山〜津山〜美作江見は県や沿線自治体とともに利便性を向上させる投資をすれば改善する可能性もあると思います。

もちろん、その際には県立高校の維持や医療体制の整備も同時に進める必要もありますが。

 

最後にJR西日本の報道以降、リストアップされた路線を擁する鳥取県兵庫県広島県や各自治体の動きが活発です。

https://news.yahoo.co.jp/articles/baff466bd1370f9f7e536002e47e0a0f19c64140

 

しかし、岡山県津山市をはじめとした美作地域の動きは活発とは言えません。

もちろん私は地元に住んでいないので、情報をキャッチできていないのかもしれませんが。

少し心配です。

 

 

 

 

 

 

因美線・姫新線に突きつけられた課題① 

こんにちは。

4月11日にJR西日本は「ローカル線に関する課題認識と情報開示について」として、キロあたりの1日平均旅客輸送人員が2,000人未満のローカル線17路線30線区の資料を公表しました。

JR西日本は「地域のまちづくりや線区の特性・移動ニーズを踏まえて、鉄道の上下分離等を含めた地域旅客サービスの確保に関する議論や検討を幅広く行いたいと考えています」としています。

 

今回JR西日本がリストアップされた路線のうち、美作地域を走る路線は

因美線東津山~智頭 38.9km)

姫新線(上月~津山  35.4km)

姫新線(津山~中国勝山 37.5km)

姫新線(中国勝山~新見 34.3km)

と、津山線以外はすべて対象にあげられています。

 

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しばらくこのブログでは美作の鉄道について自分なりに調べたことなどを書いていきたいと思います。

今回はJR西が示したキロあたりの1日平均旅客輸送人員についてのデータを考察しますす。以下の数値は、各線区の2019年度と1987年度のものです。順番は2019年度の数値が低い順に列挙しています。

因美線(智頭~東津山) 1987年度1551人→2019年度179人(11.5%)

姫新線(中国勝山~新見)1987年度702人→2019年度306人(43.6%)

姫新線(上月~津山)  1987年度1527人→2019年度413人(27.0%) 

姫新線(津山~中国勝山)1987年度1364人→2019年度820人(60.1%)

 

減少割合は因美線が極めて大きく約9分の1まで減り、姫新線(上月~津山)も4分の1近くになっています。

この要因は明確です。関西・岡山方面から鳥取・倉吉への交通手段(俗にいう陰陽連絡)のメインルートから外れたということです。

1987年当時は急行みささ・みまさか(大阪〜鳥取・中国勝山)1往復、急行砂丘(岡山~鳥取・倉吉)4往復が姫新線因美線を走っていました。すでに姫新線ハイウェイバス(大阪~津山)と競合していたため役割を失いつつありましたが、米子自動車道鳥取自動車道も開通していなかったため、因美線の役割はそれなりにありました。当時急行砂丘号が4往復運転されていたことからもそのことがうかがい知れます。

しかし、1994年に智頭急行が開業すると砂丘号は廃止(急行つやまになり区間短縮後廃止)され、因美線姫新線は凋落。さらに米子自動車道鳥取自動車道の開通が追い打ちになり現在にいたります。

 

次に2018年度に廃線になった三江線の1987年度と2016年度の輸送人員の数値を比較で紹介します

三江線(江津~三次)1987年度458人→2016年度83人

三江線の数字をみると、少し安堵の表情を浮かべる人もいるかもしれません。

 

因美線でもダブルスコア」とか・・・

 

しかし余談は許しません。

JR西日本は2020年度の数値も出しています。

因美線(智頭~東津山)132人

姫新線(中国勝山~新見)132人

姫新線(上月~津山)346人

姫新線(津山~中国勝山)663人

2020年度はどの線区も数字を落とし、因美線姫新線(中国勝山〜新見)は三江線の数字に近づきました。特に2020年度は姫新線(中国勝山~新見)が大きく数字を落としました。おそらくは、勝山高校や新見高校などの生徒の通学がコロナの影響で休校や部活動の制限・保護者の送迎への切替えで減ってしまったことが要因なのでしょうか(地元ではないので憶測です)。そうであれば2021年度の数字もリカバリが難しいかもしれません。

 

ちなみに芸備線とともにJR西日本が今年に入って地元自治体への協議を申し入れたJR大糸線南小谷糸魚川)の輸送密度は2019年度102、2020年度は50でした。

 

JR西日本の長谷川社長は4月13日の記者会見で今回公表した収支については「経営状況を共有し、理解を得るためだ」「廃線を念頭に置いていない」と強調しました。

ただこの言葉も額面通りには取れないほどの経営状況にあることも事実です。

鉄道は本来公共財です。ヒト・モノ・カネいずれも大都市に集中し、地方との格差が拡大したもとで国・自治体はどう支えるのか。主権者として私たちはどう考えるのか大事だと思います。

洗濯ダンス始まりました

4月3日から奥津温泉で足踏み洗濯が再開されたとのニュースが報じられています。

足踏み洗濯は別名「洗濯ダンス」と呼ばれていて、古くから奥津温泉のシンボル的な存在として定着しています。

OHKのニュース映像を見ると、2人で洗濯ダンスをしていますが、以前はもっとたくさんの人数で行われていました。

news.yahoo.co.jp

 

45年以上昔、奥津に住んでいた頃、私の母親も洗濯ダンスに駆り出されていました。

その頃の奥津温泉街は大変賑わっていました。日曜の朝になると宿泊客がこぞって奥津橋の歩道に詰めかけ、洗濯ダンスを見学しました。洗濯ダンスは集落内の女性が班を決めて輪番制で行い、現在とほぼ同じ格好で家にあるタオルなどの洗濯物を持参してリアルに洗っていました。なかには「夫の着ているものを持ってきて足で踏んでストレス解消する」という人もいたとかいなかったとか…。

ただ、リズムに合わせて洗濯するのは意外と難しいらしいようです。

洗濯ダンスは「奥津温泉小唄」のリズムに合わせて行われます。

奥津小唄は昭和4年、新民謡ブームの中で作られました。

(歌詞)

1、奥津なつかし湯ぶねの枕 夢をうつつにきく瀬音

  ヤンレヤレソレきく瀬音

2、かじかほろほろつつじも咲くに 可愛い其様はなぜ来ない

  ヤンレヤレソレなぜ来ない

3、逢うて別れりゃ大釣山に ないて時雨て散る紅葉

  ヤンレヤレソレ散る紅葉

4、旅は浮草うき寝の枕 一夜二夜じゃかえしゃせぬ

  ヤンレヤレソレかえしゃせぬ

5、やまめ可愛いや入れ墨ぼくろ 誰に見せとうて化粧する

  ヤンレヤレソレ化粧する

 

ダンスが行われている場所は、通称「洗濯場」と呼ばれています。

露天風呂のほか、奥に温泉を引いた小屋があり、なかには入浴する浴槽と洗濯する浴槽が並べてありました。

この温泉は、加水なしで源泉掛け流し。湯加減も冬は少しぬるく感じるくらいの言うことなしのもので、以前は地元の厚意で24時間いつでも誰でも入ることができたのですが、温泉で酒盛りをして、割れた瓶をそのまま放置するなどマナーの悪い人が増えて、20年ほど前から鍵がかけられ、入浴ができなくなったのは残念なことです。

 

 

 

 

日本最古の桃太郎伝説?

こんにちは

日本の昔話の中でも最も有名と言っても過言でも無い桃太郎の伝説。

岡山県吉備津神社周辺(総社市)や香川県高松市、愛知県犬山市がその発祥の地としてアピールしていることは有名ですが、近年津山市の隣の町である美咲町が「桃太郎伝説地」として名乗りを挙げていることはご存じでしょうか。

 

美咲町は、かつて町内に存在していた三保村が昭和3年に発行した「三保村誌」で桃太郎伝説をいち早く取り上げていたことを2014年に発見、それから「日本一早く書物に載った桃太郎の伝説」として地元の有志を中心にアピールを繰り広げています。

美咲町桃太郎伝説の概略ですが、西暦1140年ごろ桃太郎という豪傑が山に住んでいた悪い鬼を剣一撃で退治したことを記したもので、以後鬼が住んでいた山を「鬼山」、村人が喜んで祝詞をあげた地が「祝詞(のっと)」の地名の由来となったという内容です。

私たちがよく知っている桃太郎=桃から生まれて、鬼ヶ島にきび団子を分け与えた犬・猿・雉と鬼退治に行くものとだいぶ異なっています。

 

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(写真は美咲町のウォーキングマップ)

 

実際、日本各地で伝わる桃太郎伝説は様々な内容があるようです。

青森から鹿児島までの153の桃太郎伝説を比較した「桃太郎の発生」(花部英雄著)によると、鬼の居場所が「鬼ヶ島」となっているのが93ヶ所、「山」「岩」「家」19ヶ所、場所が明記されておらず「鬼退治」となっているのが32ヶ所であったり、お供の動物(モノ)に犬・猿・雉以外が登場する話(蟹や臼、針など)が17ヶ所で収集されているとのことです。

また桃太郎の性格が「三年寝太郎」のように怠け者でありながら怪力の持ち主である話が岡山を中心に中四国では多く存在しているのも特徴として挙げられています。

 

昭和51年にまとめられた「岡山のむかし話」で紹介されている「桃太郎」も怠け者だが怪力の持ち主の桃太郎が殿様に頼まれて犬猿雉を連れて鬼ヶ島に鬼を退治しに行く話となっています。(話者は現在の真庭市の人と新見市の人が連名)

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最後に桃太郎のアイテム吉備団子について。

吉備団子が岡山名物として有名になったのは、日清戦争から帰還した兵隊を相手に広島の宇品港で廣榮堂の主人が桃太郎の扮装で「日本一の吉備団子」と書いたのぼりを掲げて売り歩いたことがきっかけです。

吉備団子を買った兵隊さんは、列車で岡山駅を通過する際に「おーここが桃太郎の里かー」ときっと思ったことでしょう。

 

 

 

 

 

 

 

 

鶴山の桜〜1,000本でも5,000本あるような見事さ〜

津山の本格的な春の到来を告げるイベント、津山さくらまつりが3月26日から開催されています。(鶴山公園の桜は3月27日に開花したそうです)

sakuramatsuri.e-tsuyama.com

 

鶴山公園は古くから全国でも名が知れた桜の名所で、約1,000本のソメイヨシノや牡丹桜などが植えられていて、岡山県内では唯一「日本のさくら名所100選」にも選ばれています。

この約1,000本という桜の本数ですが、実は10年くらい前までは5,000本とアナウンスされていました。私も「鶴山の桜は5,000本ある」と教えられ、最近まで信じ込んでいたものですからびっくりしました。随分と本数に差がありますが、満開の鶴山公園を一目見れば5,000本と説明があっても、長い間誰も信じて疑わなかった。それくらい見応えのある素晴らしい景色なんだと思います。

 

鶴山公園は、明治の廃城令以降荒れ果てていた津山城の跡地を明治32年に公園として整備することにしたのが始まりで、桜の植樹はその直後から始まっています。その後、全国的にも盛んだった日露戦争から凱旋した兵隊がその記念に桜の苗木を植えるということが鶴山公園でも盛んに取り組まれ、桜の名所となっていきます。(※真庭郡新庄村のがいせん桜も日露戦争からの凱旋を記念して植樹されたものです。)

そして、現在の姫新線が全線開通したことを記念して、昭和11年3月下旬から5月上旬にかけて津山市が開催した「姫津線全線開通記念産業振興大博覧会」が桜の開花の期間と重なり、特に県外からの観光客にも広く知られるようになったのでした。

 

私が津山で過ごした昭和50年〜60年代は桜の開花時期が今よりも遅く、春休みの終わりごろでもまだ早いくらいで、始業式が始まった後が花見のシーズンでした。なので学校が終わってから花見に行くことも珍しくなく、夜桜を楽しむ人も多かったのが印象的です。

重箱に巻き寿司や稲荷寿司、鳥の唐揚げ(チューリップ)などを詰めた重箱を持って、近所の人と一緒に家族ぐるみで花見をするというのがこの頃の思い出です。

土日など昼の明るいうちに花見に行ったときは、城の中にあった動物園にも行きました。

ちなみに津山では鶴山公園のことを「お城山」と呼んでいて、「お城山に上がって花見をする」などと言っていました。

 

コロナの影響で、まだ公園内でシートを敷き花見をすることはできないようですが、昨年よりも規模が大きく春を楽しめるようになったことはよかったです。

お近くの方はぜひ足を運んでみてください。

 

真庭(旧勝山町)出身の大投手 山根和夫さん

こんにちは

3月21日、広島東洋カープが2008年以来のOB戦、CARPレジェンドゲーム2022を開催しました。

リーグ三連覇時に活躍した若い選手だけでなく、旧勝山町出身山根和夫さんほか70年代後半から80年代のカープが3度の日本一に輝いた黄金期のプレイヤーもたくさん参加してましたね。子どもの頃の懐かしい気持ちが蘇りました。

 

さて、3度の日本一に大きく貢献した山根和夫投手は勝山高校の出身で、卒業後は福山市日本鋼管で社会人野球を続けます。

当時はほとんどいなかった150キロのストレートを投げる投手として有名になり、カープが初優勝した年の1975年にドラフト2位で指名されます。(山根投手は、すぐにプロ入りせず翌年の都市対抗野球に出場しての入団)

入団当時の背番号は35。プロ入り直後はコントロールに苦しみますが、投げ方を変えてフォークをマスターした79年のシーズンに飛躍の年を迎えます。

カープはこれまで79年、80年、84年の3回日本一になりましたが、山根投手は79年の日本シリーズに3回先発して2勝、80年は3試合先発して2勝、84年も3試合先発し、日本一を決めた最終戦では自ら決勝のホームを踏み完投勝利を飾る大活躍で胴上げ投手になりました。

 

3回の日本シリーズ合計21試合のうち先発登板9試合で通算5勝。完投3、完封2という山根投手の成績。

カープ日本一のエピソードは、「江夏の21球」が有名ですが、この試合でも6回途中まで投げ勝利投手になっています。山根投手の活躍なくしてカープの日本一はなかったでしょうし、もっと取り上げられてほしいと思います。

 

その後は肩痛のため、西武ライオンズへ移籍して先発からリリーフに転向、88年のシーズンは5勝2セーブをあげて日本一に貢献しますが1990年に引退します。

山根投手の通算成績は78勝64敗8セーブ防御率3.31。ベストナイン1回、最優秀選手1回、79年日本シリーズ最優秀投手、80年日本シリーズ優秀選手賞などを受賞しています。

 

 

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(写真はベースボールマガジン2022年2月号)

 

山根和夫の兄の政明さんも勝山高校でピッチャーをしていて、高校卒業時にはカープからドラフト指名されていますが断っています。もしかしたら兄弟でカープに所属ということもあったかもしれません。

政明さんは社会人野球で大活躍し数年後にはいまのヤクルト(当時のアトムズ)にも指名されましたが、この指名も断ってアマチュア野球界で大活躍します。

政明さんはアマチュア球界で、都市対抗野球に20年連続出場したほか、最優秀選手賞の受賞やアマチュア世界大会銀メダルなど輝かしい成績残しています。

 

勝山高校にゆかりのあるプロ野球選手は通算189勝をあげた石井茂雄さん(旧久世町出身)もいます。

別の機会に紹介します。

桜の前に梅を見よう

厳しい冬の寒さもやわらぎ、あたたかい日が訪れるようになりました。

いよいよ美作地方に花の季節が到来します。

美作地方には津山の鶴山公園、落合の醍醐桜、新庄のがいせん桜。全国的にも有名な桜のスポットがたくさんあります。

また山々のあちこちに山桜が咲きます。

あえて人が多いスポットに行かなくても、心がやすらぐ場所を地元の人々は持っています。

 

さて、今日は桜ではなく、ひと足先に見ごろを迎える梅の花について。

津山市(旧久米町)には約2,000本の梅が咲く「神代(こうじろ)梅の里公園」があります。岡山県観光連盟のホームページを参照すると、すでに2月19日から梅まつりが開催されています。

HP→ https://www.okayama-kanko.jp/spot/10570

観光連盟なども紹介されているように、14種類・2000本の梅を植えている場所は全国的にも少なく、中国地方では最大級の規模です。

しかし、鶴山公園の桜まつりがすぐ後に控えているからなのか、国道からも離れたやや不便な場所にあるからか県外の人にはあまり知名度がありません。。。もっと脚光を浴びていい場所だと思います。

 

梅の里公園の歴史は意外と新しく、開園は1995年です。

久米町は梅を町の花と位置付けていました。

梅で町おこしをめざした旧久米町は、1991年から1992年にかけて(財)岡山県郷土文化財団から梅の苗木の寄贈を受け、地域の人々と大事に育て上げました。同時に植樹した一帯に遊歩道や展望台をかねた小屋、トイレなどを整備して公園をつくったのです。

 

梅の木には、桜(ソメイヨシノ)と異なり、豊かに実がつきます。

地域では梅を観光資源としてだけではなく、梅の実を販売したり、梅干しやジャムなどに加工して販売をしています。

おそらく梅まつりの期間中は公園でも販売されていると思いますが、年間通じてガンダムで知られる国道181号線沿いの道の駅「久米の里」でも取り扱いがされています。

最後に神代公園は広くて坂道もあるので運動不足の解消にももってこいです。ぜひ足を運んでみてください。