真庭(旧勝山町)出身の大投手 山根和夫さん
こんにちは
3月21日、広島東洋カープが2008年以来のOB戦、CARPレジェンドゲーム2022を開催しました。
リーグ三連覇時に活躍した若い選手だけでなく、旧勝山町出身山根和夫さんほか70年代後半から80年代のカープが3度の日本一に輝いた黄金期のプレイヤーもたくさん参加してましたね。子どもの頃の懐かしい気持ちが蘇りました。
さて、3度の日本一に大きく貢献した山根和夫投手は勝山高校の出身で、卒業後は福山市の日本鋼管で社会人野球を続けます。
当時はほとんどいなかった150キロのストレートを投げる投手として有名になり、カープが初優勝した年の1975年にドラフト2位で指名されます。(山根投手は、すぐにプロ入りせず翌年の都市対抗野球に出場しての入団)
入団当時の背番号は35。プロ入り直後はコントロールに苦しみますが、投げ方を変えてフォークをマスターした79年のシーズンに飛躍の年を迎えます。
カープはこれまで79年、80年、84年の3回日本一になりましたが、山根投手は79年の日本シリーズに3回先発して2勝、80年は3試合先発して2勝、84年も3試合先発し、日本一を決めた最終戦では自ら決勝のホームを踏み完投勝利を飾る大活躍で胴上げ投手になりました。
3回の日本シリーズ合計21試合のうち先発登板9試合で通算5勝。完投3、完封2という山根投手の成績。
カープ日本一のエピソードは、「江夏の21球」が有名ですが、この試合でも6回途中まで投げ勝利投手になっています。山根投手の活躍なくしてカープの日本一はなかったでしょうし、もっと取り上げられてほしいと思います。
その後は肩痛のため、西武ライオンズへ移籍して先発からリリーフに転向、88年のシーズンは5勝2セーブをあげて日本一に貢献しますが1990年に引退します。
山根投手の通算成績は78勝64敗8セーブ防御率3.31。ベストナイン1回、最優秀選手1回、79年日本シリーズ最優秀投手、80年日本シリーズ優秀選手賞などを受賞しています。
(写真はベースボールマガジン2022年2月号)
山根和夫の兄の政明さんも勝山高校でピッチャーをしていて、高校卒業時にはカープからドラフト指名されていますが断っています。もしかしたら兄弟でカープに所属ということもあったかもしれません。
政明さんは社会人野球で大活躍し数年後にはいまのヤクルト(当時のアトムズ)にも指名されましたが、この指名も断ってアマチュア野球界で大活躍します。
政明さんはアマチュア球界で、都市対抗野球に20年連続出場したほか、最優秀選手賞の受賞やアマチュア世界大会銀メダルなど輝かしい成績残しています。
勝山高校にゆかりのあるプロ野球選手は通算189勝をあげた石井茂雄さん(旧久世町出身)もいます。
別の機会に紹介します。