まるしてんblog 美作地方.岡山県をつらつら

美作地方、岡山県の交通、民俗、方言など

美作地方は今も松茸の産地

こんにちは

お彼岸が過ぎて、いよいよ秋が近づいてきました。

秋になれば、さまざまな山の幸、里の幸がもたらされます。

そして秋の味覚の王様といえば松茸です。

とはいえ、現代では簡単に手が届くものではなくなりましたね。

「米が不作の年は松茸がよう取れる」と昔の人は言っていました。今年は冷夏で雨も多かったので例年よりは多く取れるのではないでしょうか。(まあ、私の食卓には届かないでしょう)

 

岡山県が昨年12月に発表した資料(岡山県特用林産物生産流通統計)によると、令和元年度の岡山県の松茸の生産量は1.1トンで全国3位。全体の8%を占めます。松林が昔から多い岡山県は松茸の名産地です。

さらに県内市町村別のトップ3は新見が43.1%、真庭が24.8%、津山が10.1%と県北部がずらりと並びます。

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思い出話になりますが、私の子ども時代は秋の祭りくらいになると、親戚や知人から山でとれた松茸をいただき、お祭りの時にすまし汁や茶碗むしに入れていました。親戚のお祭りに呼ばれた時は、すき焼きに松茸を入れて食べさせてもらいました。松茸も買うものというよりは松林のある家の人からいただくものというふうでした。東京に出てきてからも、15年前くらいまでは、親戚の方から送っていただいていました。

 

話を戻して岡山の松茸の生産量は最盛期と比べて激減しました。統計によると岡山県の松茸の生産量は最大2738トン(昭和32年)もありました。

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生産量が激減した原因に松くいむしによるアカマツの枯死があげられます。松くいむしは、正式にはマツノセンチュウといい、明治時代にアメリカから輸入される木材に紛れ込み侵入したといわれています。アカマツ外来生物である松くいむしに抵抗力がありません。

松くいむしはカミキリムシを媒介とし、岡山県内では戦後に大発生し、県内のアカマツを枯らしました。岡山県内の被害は昭和49年が最大です。とりわけ県中南部の標高が低い松林は被害が大きかったようです。年中青かったはずの山(松の林)が、まるで紅葉したかのように一面赤くなった光景にびっくりしたことがあります。松くいむしによる被害は現在も続いています。

アカマツ岡山県の木として制定されています。岡山県は古くから文化がひらけた土地ですが、人が定住する中で原生林が伐採され、そこに建材や燃料としてアカマツが植えられました。松茸も下草を丁寧に処理しないと生えてきません。また、松の根の皮を食べるイノシシの対策も必要です。

松茸の生産量が減少したもう一つの大きな要因は、燃料としてアカマツを使わなくなったことと林業自体の衰退です。松茸は自然と人間が共生している証でもあったのです。