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美作地方の木地師

8月15日のポツンと一軒家で、岡山県北部で先祖が木地師をされていた家が紹介されていました。

 

苗字は小椋さんでした。小椋姓は、今の滋賀県に隠れ住むなかで、綱引きろくろを考案した惟喬親王の家来の小椋氏の子孫で、諸国の山に入ることと、木材を自由に伐採できる権利を保証するとされる「朱雀天皇の綸旨」を持っていたといわれています。

奥津、上斎原、湯原など、美作地方には昔、木工や漆塗りをされていた小椋氏は多く、実際に元禄時代近江国小椋村で作られた奉加帳にも記録されているそうです。

 

昭和30年代の美作の民俗調査(聞き取り)よると、明治〜大正あたりの上斎原の木地師は夏は農耕を行い、秋に材料の原木を切り出し、雪の時期に木をひく。明治30年代には水車でろくろを回せていた。漆塗りは別の人が分業をして行い、できた商品は倉吉からの仲買人や津山の問屋に出していたそうです。

湯原にも、木地師の集落がいくつもあり、専業で行う家は夏に盆を作り、冬は椀を作る。ソウワという1組20人前の椀を主に作る集落もあったとのことです。

美作地方の木地師は、野焼きをしても延焼しないミヤマ(森林帯)があるため、この近くに耕地を持ちながら定着するものが多かったといわれています。

 

今でこそ木地師が作る椀や盆は高級品ですが、昔は普段使いするものでした。大正あたりから急速に陶器の食器が山村にも普及し、仕事も減ったようです。

しかし、真庭には郷原漆器岡山県指定重要無形民俗文化財として残っていますし、県重要無形重要文化財保持者として、木地師の小椋芳之氏は奥津千軒から津山に移り住み、活躍されています。

いつまでも残ってほしいですね。