まるしてんblog 美作地方.岡山県をつらつら

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因美線のお魚列車

こんばんは

先日、図書館に行きなんとなく手にした本f:id:marushiten:20210913192533j:image

懐かしさとともに新しい発見がありました。

コロナで半年以上行ってませんでしたが、図書館って本当にいいですね〜

この本に因美線の車内で魚の行商をされていた加茂のMさん(故人)の体験談が掲載され、因美線が美作地方の食生活を支えていた歴史がしっかりと紹介されていました。

※加茂=因美線では美作加茂駅

鉄道が走っていない時代、海のない津山.美作地方への海産物の輸送はもっぱら人力でした。「作州のタコにはイボがない」という言葉があるように、津山に魚が着く頃には新鮮さは失われます。

(ただし、山国であるにもかかわらず因幡伯耆から美作地方への海産物の流通は昔から盛んでした)

因美線の開通後は鉄道を利用して魚を売る行商人が毎日のように美作地方に訪れ、新鮮な魚も流通するようになります。

戦後、行商人が組織化されるなか、昭和30年代には因美線の沿線には若桜、用瀬、智頭、那岐、津山に行商の会員がいて、因美線沿線の各駅のほか、勝山や久世、佐用、亀甲と姫新線津山線沿線まで魚を売りに行っていました。

行商の仕組みですが、鳥取で魚を仕入れる人がいて、列車内で行商人に卸すというスタイルでした。

本で紹介されていたMさんは加茂の人ですが、毎日鳥取で泊まって魚を仕入れ、朝一番の因美線の汽車に乗り途中の駅で乗ってくる行商人に魚を卸して帰る日々を送っていました(時刻表は1964年のもの)

今は1両編成ばかりの因美線ですが、昔は行商のための車両も繋げて鳥取津山駅を直通していたのです。

Mさんは智頭急行ができて、鳥取から津山までの通し運転がなくなっても、足を痛めた平成20年ごろまで仕事を続けていたそうです。このことは本を読むまで知りませんでした。

コロナで鉄道会社は経営が悪化し、芸備線は廃止の危機に直面していますが、因美線(智頭から津山)もかなり危うい状況だと思います。

しかし、古くは生活に密着し美作の文化や経済を支えてきた公共交通です。残してほしい.残したいものだと思います。

 

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