まるしてんblog 美作地方.岡山県をつらつら

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茨城県と美作地方

こんにちは

11月13日は茨城県民の日だそうです。

https://www.pref.ibaraki.jp/bugai/koho/kenmin/kenminnohi/h30kenmin/h30kenmin-day.html

ホームページによると、

1871(明治4)年11月13日に、初めて「茨城県」という県名が用いられたことにちなみ、11月13日を「県民の日」としているのだそうです。

このブログは美作地方のことを書いていますが、なぜ茨城県?と思われたかもしれません。

実は江戸時代、現在の津山市美作市西粟倉村の一部は土浦藩が統治していました。美作国土浦藩の石高は延享四年(1747)時点で1万9千石。ちなみに他藩も含め、明治初年の美作国内全体の石高は26万3,477石ですから、かなりの影響力があったと考えられます。
土浦藩は当初、現在の美作市、旧大原町古町に代官所を置きました。後に領地替えで津山市近松代官所を移しますが、美作国内での土浦藩の支配は明治の廃藩置県まで続きます。

 

西粟倉村には土浦藩が建てた「略孝子八右衛門伝の碑」が今も残っています。

八右衛門という大変親孝行な男がいて、医者もあきらめるほど重い病の父を、財産を使い果たしてながら長い間看病した結果、不思議なことに蘇生したことに土浦藩の役人が感激し、銭1000文と米8俵を与えました。

土浦藩は八右衛門の死後1860年に石碑を建立しました。