鉄道唱歌と津山線
こんにちは
新型コロナウイルスによる緊急事態宣言が解除されて、行楽に出かける人も増えていますね。
移動手段として鉄道を使う人がこれから再び増えていってほしいです。
JR西日本は乗り放題のどこでもきっぷ・関西どこでもきっぷを発売中です。
津山線全線と姫新線の姫路ー津山間は関西どこでもきっぷのエリア内にもなっていますね。
(因美線の東津山ー智頭もエリアに加えてほしかったと思うのは私だけでしょうか)
この秋、美作地方への観光客が増えればいいなと思います。
さて「鉄道唱歌」ご存知ですよね
鉄道唱歌は明治33年(1900年)に発表された曲です。
当時、美作地方には今の津山線(当時は中国鉄道)が開通していました。
もちろん津山線は唱歌に歌われることはありませんでしたが、山陽編の10番でこのように歌われました(山陽本線は当時は山陽鉄道)
♩播磨すぐれば焼物の 名に聞く備前の岡山に これも名物吉備団子 津山へ行くには乗り換へよ
その9年後の明治42年(1909年)、鉄道唱歌として「山陽線唱歌 汽車」が発表されます。
明治39年に国有化された山陽本線(神戸ー下関)をより詳しく紹介した52番までの歌ですが、この22番で現在の津山線と吉備線がこのように歌われました
♩中國鐵道にのりかへて ゆくには二つの線路あり 作州津山に遊ぶべく 吉備津の宮にも詣づべし
吉備線は明治36年に開通しているので、ここで歌詞に加わりました。
そしてあまり知られていませんが、津山市史によると「中國鐵道唱歌」なるものが存在したといわれています。誰が、いつ作ったのかは不明で歌詞は以下の通りです
けふの天気をさいはひに 中国線の汽車に乗り
煙残して岡山を あとに玉柏、野々口や
鉄橋渡れば作州路 しあはせよしや福渡
弓削の焼酎名も高く つぎは美作誕生寺
源空上人の出生地 名さへめでたき亀の甲
久米の皿山さらさらに 名残も尽きぬ津山駅
川の向ひの津山町 千代とことほぐ鶴山に 城跡残りて名もゆかし
蒸気機関車は走っていませんが、明治以来、線形が変わらない津山線
岡山から乗れば今もほぼこの通りの車窓が見られますね。(弓削の焼酎は廃れましたが)
津山線は今でも地元の貴重な公共交通として活用されています。
ノスタルジックだけでなく、新型車両なども導入するなど利便性をもっと向上させて末長く残してほしいものです。(写真はちょっと昔の津山線です)