津山市の市制施行日(2月11日)と人口問題
こんにちは
2月11日は津山市が市制施行された日です。
津山市は昭和4年(1929)に当時の苫田郡津山町・津山東町・西苫田村・二宮村・院庄村および久米郡福岡村が合併し、人口は33,361人。全国104番目の市として誕生しました。
ちなみに103番目の市は倉敷市(昭和3年4月1日)、105番目は山口市(昭和4年4月10日)です。
岡山県では岡山市が明治22年(1889)2月2日、全国最初となる市制施行地(36都市)の一つとして指定され、6月1日に誕生しています。1889年当時の岡山市の人口は48,333人で全国18番目。
一方、当時の津山町の人口は11,973人と全国127番目でした。
少しひねくれたものの見方ですが、開業当時の中国鉄道の津山駅(現在の津山口駅)は佐良山村、現在の津山駅も開業当時は福岡村にあり、津山町ではありません。品川駅が港区にあるような感じでしょうかね。
津山市は市制施行以降は、周りの町村を合併する形で大きくなりなりました
編入合併や境界変更は過去5回おこなわれています。
国勢調査での人口もあわせて紹介します。
1954年7月1日 苫田郡田邑村・一宮村・高田村・神庭村・高倉村・高野村
勝田郡河辺村・大崎村・広野村・滝尾村を合併
1955年4月1日と6月1日 勝田郡の勝北町と勝央町の一部を編入(楢・堂尾・池ヶ原)
2005年2月28日 苫田郡加茂町・阿波村・勝田郡勝北町・久米郡久米町を編入(平成の大合併)
合併で市域と人口を増やしてきた津山市ですが、平成の大合併以降人口減少に歯止めがかからず、2020年10月にはついに10万人を切りました。人口減少は津山に限らず、日本全体が直面している問題ですが、津山市はこのままいくと2065年には人口が49,228人と今の半分以下になると予測しています。
先日、山陽新聞が岡山県内の市町村別転入超過数の推移を取り上げていましたが、これによると津山市は毎年市外に転出する人が転入する人を上回っています。
私自身高校を卒業しても通う大学が近くにないため県外に転出し、以降もUターンしたいと思っても家族を持ちながら働ける仕事があまりなく、市外で生活してきました。
作陽高校もいよいよ完全移転。津山から学校がまた一つ消えることとなります。
若い人が転出することをとどめる施策がまずは必要だと思います。