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津山藩の富くじ「万人講」

こんにちは。

年末ジャンボ宝くじの発売が始まっていますね。

当たったら何を買おうか。働かなくていいかなぁ。。。

そんな束の間の夢を買うのも悪くないですね。

 

さて、現在の自治体宝くじのような富興行は江戸時代、全国各地で行われています。

特に津山藩の「万人講(まんにんこう)」は全国有数の規模でした。

万人講は享保年間(1716−1736)ごろから始められ、明治元年12月まで続きます。

年に3−5回定期的に行われており、美作国内だけでなく、四国や関西から参加する人も多くいました。

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富くじは、ギャンブルに伴う弊害から幕府から何度も禁止令が出されましたが、津山ではその度に復活しました。

商人は市街地にたくさんの観衆が集まるため儲かります。

津山藩にとっては、万人講の売り上げの3割が「三分銀」として納入金に充てられるため、他国からの正銀(貨幣)をもたらす貴重な収入源でした。

山間部で大きな交易のない津山にとって万人講の賑わいは極めて貴重なものだったのです。

 

万人講の抽選会は吉井川と宮川の合流するあたり、今の津山市材木町あたりの河原で行われ、桶に入った木札を錐でを突き、刺さった札に書いてある文句を読み上げる方法で実施されていました。

当選金の受け取りはその場ではなく、後日講元に申し出て銀札を受け取っていました。

当選金は津山藩の藩札で支払われました。

美作国以外では使えないため、他国の人は正銀に両替して帰らなけばなりませんでした。

当選者が現れなかった場合は当初10年後に再抽選(突き直し)が行われていましたが、その後これが改められ、藩に納められることとなりました。