室戸台風と津山線
こんにちは。
お盆前から引きつづいた大雨による被害が全国各地で報告されています。
長野県では中央本線が被害を受け、未だ新宿側も名古屋側からも直通できない状態です。旅客の影響も心配ですが、物流=とりわけ長野へのガソリン輸送の大部分は鉄道貨物が担っているので、早期復旧を願うばかりです。
海がないということでは共通している美作地方。
津山線が開通するまでの主要な物流輸送の手段は吉井川や旭川の高瀬舟でした。
高瀬舟は津山から岡山まで時間がかかり、川のぼりは2日半以上を要していただけでなく、大雨が降れば航行できなくなってしまいます。
津山線開通が全国で40番目といわれているほど早かったことは至極当然であり、津山線の開業は美作地方の近代化と物流の安定供給をもたらしました。
その津山線が昭和9年9月20日の室戸台風で甚大な被害を受けます。
特に深刻だったのは、福渡にかかる旭川橋梁の流出でした。
橋脚の一部も流出したため、復旧には大量の資材と労働力が必要となりました。
台風は山陽線や伯備線などの国有鉄道にも大きな被害を与えており、労働力を集めることはいっそう難しい状況でした。
そこで中国鉄道は、復旧作業を千葉県にあった日本軍の鉄道連隊の演習として要請します。この方法は補修にかかる資材は負担する必要がありますが、工夫などを雇う必要がなくなります。しかも鉄道建設に特化した人員(300人)が復旧に携わるため、10月9日からわずか40日で応急復旧を実現し、11月24日には旭川橋梁を開通させたのです。
自動車もまだ発達していなかった時代、鉄道の果たしていた役割がいかに大きかったかをあらわすエピソードです。
ちなみに、津山線は被災からわずか8日後には旭川の両岸までそれぞれ鉄道を復旧させて客扱いをし、渡し舟で代行輸送する手段をとっています。近くにかけられていた人が渡れる橋も流されていたためですが、福渡は美作と備前の「国境」として栄えました。明治時代も渡し舟が残っていたんですね。