秋祭りと津山のだんじり
こんにちは。
10月は収穫を祝い感謝する秋祭りの季節なのですが、東京のような都市部では特にこうした風習もなかったのでしょう。年々ハロウィンが盛り上がっています。
個人的にはハロウィンより秋祭りの文化を大事にしていきたい気持ちです。
美作地方では米の収穫にあわせ、多くの神社で旧暦9月に祭祀を行なっていました。
作陽誌から江戸時代、旧奥津町にあった神社の祭祀日を調べてみました。
なお、旧暦です
9月9日 河内村 飛雅意神社
杉村 色綿神社
井坂村 王子権現社
養野村 射水神社
羽出村 中島神社
9月19日 黒木村 金今神社
四口野村 牛頭天王
9月28日 久田上村 貴布禰󠄀神社
特に9月9日いわゆる長陽の節句に祭礼を開催する神社が多かったことがわかります。
現在、「津山まつり」とされている徳守神社と大隅神社(城東地区)、高野神社(二宮)はどうでしょうか。
江戸時代は大隅神社と高野神社の祭礼の日は旧暦の9月9日。徳守神社は旧暦9月17日でした。
旧暦を使わなくなり、日曜日に合わせて祭りをするようになった現在ですが、大隅神社は10月3週目の日曜日に、徳守神社は10月4週目の日曜日に、高野神社は10月22日に近い日曜日に(事実上徳守神社と同日)に開催されています。
※ちなみに今年10月17日(日)は旧暦では9月12日になります。
津山まつりといえば「だんじり」です。
私も小学校に上がってから津山に住み始め、秋祭りには町内が出すだんじりに乗っていました。
何十人というたくさんの子どもが乗れる大きなだんじりでした。
大人がそのだんじりを引っ張るのですが、実はエンジンがついていて自走できました。
マイクで子どもが順番に「ソーヤレ」と掛け声をかけ、鐘を3回叩きます。おそらくこれは今も変わりないと思います。
だんじりの起源は、練り物=仮装行列から始まり、それが台上での踊り芸になり、そこからみこし太鼓やだんじりに変わっていたといわれています。
実際、津山のまつりの起源は、1609年に徳守神社の社殿が増宮された際に、氏子が練り物を出したことに由来するとされています。その後1667年には徳守神社の祭礼に山伏や酒呑童子など様々な仮装の行列が出て、挙句社人と町人が争い事に発展し、40年間練り物を出すことが禁じられたそうです。
練り物が再び許されたあと、次第に仮装行列から台上での踊り芸となり、1810年には船頭町が提灯を付けた台を担いで、二階町は車付きの台を引き出し、京町と新魚町が子どもを台に乗せて太鼓を叩かせたという記録が残っています。
さらに時代が下り、幕末から明治のころ、台を神輿のように「担ぐ」ことから台車に乗せて「曳く」ことが多数を占めるようになったそうです。
今年もコロナでまだこれまで通りの規模の祭りができていないそうですが、来年はハレの日を盛大に盛り上げてほしいです。