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津山市営球場でのプロ野球公式戦

こんにちは。

今から半世紀近く前の1973年7月29日、津山でたった一度のプロ野球公式戦が開催されました。

 

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津山市営球場は両翼が狭く91メートルしかない。観客は内野外野合わせて26,800名入るとなっているが、おそらくそれほど入らないと思います。

 

以前の記事でも、このことは書きましたが、今回は試合のスコアとご当地出身の石井茂雄投手の活躍について紹介します。

 

まずは試合のスコアから

第1試合 観客8000人

太平洋 002 041 000 7

近 鉄 000 001 100 2

勝)柳田 負)鈴木 

本塁打 梅田2号、ビュフォード13号、土井17号

ヒット数 太平洋8、近鉄9  エラー 近鉄

 

第2試合 観客9000人

太平洋 000 302 301 9

近 鉄 000 300 001 4

勝)石井 負)神部

本塁打 永淵2号、ロバーツ1号、土井18号

ヒット数 太平洋16、近鉄9 エラー 近鉄

 

前日は鳥取市営球場で試合を行い、移動日なしで津山に来てダブルヘッダーで2試合行っています。

ナイター設備のない球場でダブルヘッダーを開催するというのはなかなかの強行軍です。試合が行われた7月29日は日曜日でした。

当時パリーグペナントレースを前期と後期に分けて開催しており、鳥取・津山の3連戦は近鉄と太平洋にとっては後期日程の開幕試合(近鉄の主催試合)でした。

太平洋クラブライオンズは現在の西武ライオンズの前身です。

 

第1試合近鉄の先発は後に通算317勝を挙げた大投手、鈴木啓示投手が10勝目をかけて登板しています。しかし試合は梅田選手のホームランなどで太平洋が5回の時点で6−0とリードして鈴木投手をノックアウト。近鉄は通算2452安打・465本塁打を打った土井選手のホームランなどで反撃をしますが、結果柳田投手が完投勝ちを収めました。

 

そして第2試合、太平洋は真庭市(旧久世町)出身の石井茂雄投手が先発のマウンドに立ちました。観客は第1試合よりも増え9000人。おそらくすごい盛り上がりだったと思います。

試合は太平洋が4回に3点を上げますが、すぐさま近鉄が石井投手を2本のホームランで打ち崩し、3対3の同点とします。

石井投手は5回を投げ切った結果、6回表に太平洋は神部投手から2点をもぎ取り、勝ち投手の権利を持って降板。土井選手の2試合連続ホームランも飛び出しますが、試合は9−4で太平洋の勝利。石井投手は地元で嬉しい白星をあげました。

 

石井茂雄さんは勝山高校に在学中、大学野球の合宿の練習試合に混じってプレーしていたところ、関係者の目に止まり、1957年8月に高校を中退して阪急ブレーブスに入団します。

石井さんの阪急時代には300勝投手の米田投手が全盛期であり、その陰に隠れてなかなか目立ちませんでしたが、入団翌年の8月から1軍で活躍し、1963年には17勝、64年は28勝、65年は21勝と3年連続で米田投手を上回る勝ち星を上げています。

オールスターゲームにも3回 (64、65、68年)出場。1973年に太平洋に移籍。1979年に巨人に移籍してその年に引退するまで通算189勝(185敗3セーブ)を挙げた大投手でした。

石井さんは打撃でも非凡な才能を持っていたと言われています。

調べてみると、1964年の打撃成績は打率.262で本塁打は3本(通算本塁打は11本)も打っています。

 

津山でプロ野球公式戦が開催されて49年。現在の津山市営球場は狭く老朽化も進んでいます。

高校野球岡山県予選も美咲町にあるエイコンスタジアムに移ってしまいました。

必要な修繕を施して県北部のスポーツ振興をしてほしいと思います。