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茨城県と美作地方② 堀坂の釜の口用水

こんにちは

昨日に続いて、美作国土浦藩についての記事です。

江戸時代、現在の美作滝尾駅近くの堀坂(ほっさか)地区は、土浦藩が統治していましたが、たびたび洪水に悩まされてきました。堀坂地区は米作りのために西側にある加茂川から水を堰き止めて用水を引いていましたが、大雨のたびに川の水が用水から押し寄せたのです。

土浦藩の代官亀田清助は、洪水のたびに窮地に追い込まれる農民の訴えに対して、解決策を検討します。

その結果、北側にある岩山にトンネルを掘って川上から水を引くことで水量を安定させ、洪水を防ぐ方策を取ることを決めました。

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※トンネルのだいたいの位置を線で引きました。長さは正確ではありません。

 

トンネルを掘るには測量や緻密な計算が必要です。亀田代官は、今の津山市田熊(たのくま)にいた中村周介に依頼します。中村周介は京都で和算を学び、免許皆伝の腕前であり、美作国内に多くの門人がいたと言われています。中村周介はこの求めに対し、高齢を理由に断り、16歳の孫である嘉芽市(かめいち)を指名しました。

嘉芽市は現地で測量や計算を行い、取水口と取り出し口を決めて1822年1月、トンネルの工事が始まりました。

当時、このような工事は美作国内では前例がありません。口径約2メートル、長さ100メートル余りの長さのトンネルを村人だけでなく近隣からも助けを借りながら1年がかりで貫通させました。

以降、堀坂の農民はたびたびの洪水に悩まされることはなくなりました。

このトンネルは「釜の口用水」と呼ばれ、200年経った現在でも利用されています。