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美作の災害 昭和9年室戸台風①鉄道と橋の被害

こんにちは

1934年(昭和9)年の9月20日から21日にかけて、岡山県全体に甚大な被害をもたらした室戸台風

津山線(中国鉄道)の旭川橋梁の被害と復旧については、先日のブログで書きましたが(8月20日 室戸台風津山線)、鉄道だけで県内150箇所で橋の流出や土砂崩れ、道床の流出があったと記録されています。伯備線では足立駅付近を走行中のSLが土砂崩れに巻き込まれて、機関士亡くなる事故も発生しました。

他の美作地方の鉄道への被害ですが、姫新線の久世と中国勝山の区間の線路が路盤ごと流されて58日間不通になりました。

因美線岡山県区間は36箇所で被害が発生。美作河合から物見トンネル間での河川の決壊や美作河合から知和間で加茂川付近の線路が流失の復旧には時間がかかり、津山保線区から延べ15000名が24時間体制で復旧にあたったそうです。(不通の期間は20日間)

 

人や車が通行する橋の被害はもっと深刻でした。

当時の資料によると岡山県内の50メートル以上の橋のうち、吉井川水系26%(10カ所)、旭川水系73%(22カ所)、高梁川水系40%(14カ所)が被害を受けました。

津山市の中心部にある今津屋橋もこの時流されてしまいました。

岡山県は直後から専門技師を着任させ土木課職員を増員し、復旧を本格化させます。

たくさん書きたいことがありますが、今日は旧奥津町の被害があった橋について紹介します。

奥津町で被害を受けた橋は上流から、水原橋、奥津橋、大釣橋、落合橋と続きます。

復旧にあたり、桁が作りやすい水原橋、奥津橋、落合橋はスタンダードな形態の橋で設計され、1936年7月から1937年1月にかけて開通しました。

一方で大釣橋は川幅は短いものの(約30メートル)、奥津渓谷にかかり橋桁が渡せません。戦時中で鋼材が高騰するなかで、この橋だけは鋼材を使ったトラス橋がとしてかけられました。

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この4つの橋は、現在の国道179号線が開通するまでは国道として使用され、人形峠の開発や奥津や恩原、三朝温泉への観光ルートとして賑わいました。

子どもの頃、奥津に住んでいましたが、あの狭い道を大きなトラックやバスが頻繁に行き来していたのを思い出します。水原橋や大釣橋の手前では直角カーブがありトラックのすれ違いも大変そうでした。

大釣橋は奥津渓のシンボルとして今も存在感を示しています。