津山に夜行列車が走った?〜急行みささ51号〜
こんにちは
コロナが終息し、遠くに旅に出たい気分です。
旅行の交通手段はいろいろありますが、できれば鉄道。在来線で旅情を感じながら楽しみたいものです。
昔は夜通しかけて走る列車が全国に走っていました。しかし津山には夜行列車はありませんでした。
と、思ったら大間違い。
実は過去に一度だけ、夏に夜行列車が姫新線を走ったということを聞いていました。そしてこれを確かめるべく、ネットで1975年7月発行の時刻表をネットで入手しました。
結果
ありました
大阪23:11発の「みささ51号」鳥取着翌6:53着(8/8、9、12、13運転)
大阪を23時台に出発し、途中智頭と郡家しか客扱いをせず、鳥取に6時台に到着するダイヤはまるで深夜バスのようで、結構利便性が高いと感じます。
詳しい編成やどこで長時間停車をしたかも不明ですが、全車指定席でグリーン車あり。岡山県内の姫新線や因美線の駅は全て通過ということがわかりました。
1975年8月といえば、大阪から津山までの中国自動車道が全線開通(1975年10月16日)する僅か2ヶ月前です。
美作地方のシカの被害
こんにちは
ここのところ姫新線や因美線などで動物支障によるダイヤ乱れが続いています。
原因はシカがはねられる事故です。(タヌキも冬になるとよく轢かれていますが、小さいのでそのままにされます…)
シカは鉄分を求めて、レールを舐めに線路に出てきます。JR西日本は鹿の鳴き声を出す装置を列車に取り付ける工夫もしようとしているようですが、山間の滅多に列車が通らなくなった場所からシカが立ち去ることはないでしょう。
シカの被害は、岡山県の農業や林業にも大きな被害を与えています。
令和2年の岡山県の農林水産物の獣類による被害は以下の通りです
シカ →被害額 32,196,000円
イノシシ→被害額 94,705,000円
サル →被害額 25,854,000円
シカの被害はイノシシには及びませんがサルを上回っています。
ちなみに岡山県内で昨年捕獲したシカの数は13,150匹にのぼったそうです。
シカの被害は、私が子どもの頃は全くと言っていいほど聞きませんでした。
なぜなら当時はシカが岡山県北部にほとんど生息していなかったからです。岡山県の調査によると、1975年のニホンジカの生息数は岡山県内でわずか100頭ほどでした。しかもその生息地域は備前市と兵庫県との県境などに限られていました。
当時のシカは駆除どころか保護の対象(狩猟禁止)だったのです。それが時代が経つにつれ生息地域を広げながら増加し、平成4年ごろから農作物や山林への被害が顕著になりました
下に2018年の岡山県のパンフレットを貼りますが、津山市や鏡野町、真庭市ではこのほど20年であっという間に増えたのです。
なぜここまでシカが増えたのか。
実のところ原因ははっきりとしていません。
環境省は、ニホンジカは、明治時代に乱獲によって激減し捕獲が規制された後、減少に歯止めがかかり、繁殖率が高いうえに死亡率が低下したことで増えたと分析しています。
死亡率が低下した要因としては
①積雪量の減少 ②造林や草地造成などによる餌となる植生の増加 ③中山間地域の過疎化などにより生息適地である耕作放棄地の拡大④狩猟者の減少 ⑤捕獲規制の緩和の遅れ (2007 年までメスジカは禁猟) ことが指摘されています。
環境省の分析を岡山県北部に当てはめれば、一番大きな原因は③の過疎化だと思います。
岡山県は平成15年度から「ニホンジカ保護管理計画」を策定し、メスジカの狩猟の解禁や狩猟期間の延長、わなの規制緩和と次々に規制を緩和して捕獲頭数を増やしていますが、それでもシカは増加の一途をたどっています。
秋祭りと津山のだんじり
こんにちは。
10月は収穫を祝い感謝する秋祭りの季節なのですが、東京のような都市部では特にこうした風習もなかったのでしょう。年々ハロウィンが盛り上がっています。
個人的にはハロウィンより秋祭りの文化を大事にしていきたい気持ちです。
美作地方では米の収穫にあわせ、多くの神社で旧暦9月に祭祀を行なっていました。
作陽誌から江戸時代、旧奥津町にあった神社の祭祀日を調べてみました。
なお、旧暦です
9月9日 河内村 飛雅意神社
杉村 色綿神社
井坂村 王子権現社
養野村 射水神社
羽出村 中島神社
9月19日 黒木村 金今神社
四口野村 牛頭天王
9月28日 久田上村 貴布禰󠄀神社
特に9月9日いわゆる長陽の節句に祭礼を開催する神社が多かったことがわかります。
現在、「津山まつり」とされている徳守神社と大隅神社(城東地区)、高野神社(二宮)はどうでしょうか。
江戸時代は大隅神社と高野神社の祭礼の日は旧暦の9月9日。徳守神社は旧暦9月17日でした。
旧暦を使わなくなり、日曜日に合わせて祭りをするようになった現在ですが、大隅神社は10月3週目の日曜日に、徳守神社は10月4週目の日曜日に、高野神社は10月22日に近い日曜日に(事実上徳守神社と同日)に開催されています。
※ちなみに今年10月17日(日)は旧暦では9月12日になります。
津山まつりといえば「だんじり」です。
私も小学校に上がってから津山に住み始め、秋祭りには町内が出すだんじりに乗っていました。
何十人というたくさんの子どもが乗れる大きなだんじりでした。
大人がそのだんじりを引っ張るのですが、実はエンジンがついていて自走できました。
マイクで子どもが順番に「ソーヤレ」と掛け声をかけ、鐘を3回叩きます。おそらくこれは今も変わりないと思います。
だんじりの起源は、練り物=仮装行列から始まり、それが台上での踊り芸になり、そこからみこし太鼓やだんじりに変わっていたといわれています。
実際、津山のまつりの起源は、1609年に徳守神社の社殿が増宮された際に、氏子が練り物を出したことに由来するとされています。その後1667年には徳守神社の祭礼に山伏や酒呑童子など様々な仮装の行列が出て、挙句社人と町人が争い事に発展し、40年間練り物を出すことが禁じられたそうです。
練り物が再び許されたあと、次第に仮装行列から台上での踊り芸となり、1810年には船頭町が提灯を付けた台を担いで、二階町は車付きの台を引き出し、京町と新魚町が子どもを台に乗せて太鼓を叩かせたという記録が残っています。
さらに時代が下り、幕末から明治のころ、台を神輿のように「担ぐ」ことから台車に乗せて「曳く」ことが多数を占めるようになったそうです。
今年もコロナでまだこれまで通りの規模の祭りができていないそうですが、来年はハレの日を盛大に盛り上げてほしいです。
JR西日本が輸送密度を発表 美作地方の鉄道が危ない
JR西日本が『データで見るJR西日本2021』を発表しています。
このなかで2020年度の管内各路線の1日キロあたりの輸送密度が公表されました。
https://www.westjr.co.jp/company/info/issue/data/pdf/data2021_08.pdf
2020年度の津山線、姫新線、因美線の輸送密度は以下のとおりです
2年前の同じデータと比較しました
区間 20年度 18年度 減少率
津山線 岡山ー津山 2626 3557 -26%
姫新線 姫路ー播磨新宮 5174 7377 -23%
播磨新宮ー上月 750 910 -18%
上月ー津山 346 391 -12%
津山ー中国勝山 663 813 -12%
中国勝山ー新見 132 310 -57%
智頭ー鳥取 1993 3664 -46%
国鉄時代の1980年に国鉄再建法で鉄道を廃止してバス転換が適当とされたのは旅客輸送密度4,000人未満かつ貨物輸送密度が4,000トン未満の路線でした。さらにこのなかで国鉄時代に第一次特定地方交通線として多くが廃止路線となったのは輸送密度は2000の路線でした。
※因美線と姫新線は当時4000人を下回っていましたが、ピーク時の輸送密度が高いとされて廃止路線から除外されました。
美作地方の近辺はほとんど第一次特定地方交通線の危機的な水準です
コロナの影響で美作地方の鉄路はどこも危険な水準に落ち込んでしまいました。
津山線は比較的数字がよく見えますが、岡山市内の区間でかなり数字を稼いでる可能性があり県北部だけでは数字が悪いと思われます。
また特に中国勝山から新見間の輸送密度の-57%の減少と他線区に比べて大きく、因美線の区間と同水準に低下しているのは気になります。
次に上記以外の岡山県内のJR路線の輸送密度はどうでしょうか
新幹線 新大阪ー岡山 40833 120877 -66%
岡山ー広島 35196 94785 -63%
山陽線 上郡ー瀬戸 5602
瀬戸ー岡山 24636
岡山ー福山 26905 36641 -27%
備中高梁ー新見 2098 4464 -53%
新見ー伯耆大山 1463 3512 -58%
茶屋町ー児島 15279 28487 -46%
茶屋町ー宇野 3173 3965 -20%
吉備線 岡山ー総社 4743 5963 -20%
長船ー播州赤穂 1677 2204 -24%
※東城ー備後落合 9 9 0%
新幹線や特急が走る路線は、コロナで大きな減少となりましたが、それでも岡山や倉敷などへの通勤や通学利用が多い県南部は輸送密度は良いといえます。
現在、存続についてJR西と自治体が協議している芸備線の岡山県内区間(備中神代ー東城)の輸送密度は80でした。これを見ると輸送密度が132まで落ち込んでいる因美線や姫新線は、存続についてJR西からいつお声がかかってもおかしくない状況です。
岡山県や津山市、真庭市、新見市、美作市など沿線自治体は先手を打つ必要があると思います。
パレオパラドキシアとSL
こんにちは
コロナがいったん収まったので、1年半ぶりに鉄道でちょっとした旅をしました。
行先は秩父。秩父鉄道を走るSL「パレオエクスプレス」に乗車してきました。
パレオエクスプレスの名前は1500万年前に生息していたパレオパラドキシアというジュゴンに近い動物の化石が秩父で発見されたことに由来しています。
日本とアメリカでしか見つかっていない、非常に珍しい化石だそうですが、津山の人なら大変馴染みがあるというか、有名ですよね。
昭和57年、津山の中学生が田邑の工事現場で発見して当時大ニュースになりました。
化石は京都大学で復元され、津山郷土博物館で展示されました。
また今は看板が外されていると思いますが、国道179号線バイパスの二宮あたりに地層を紹介する看板があって、そこにパレオパラドキシアの紹介もされていました。
海から遠い秩父も津山も浅い海だった時代があったということですね。
そしてパレオエクスプレスを牽引している蒸気機関車はC58という形式です。
この形式の機関車は戦前から戦後にかけて400両以上が作られて、主にローカル線で貨物・旅客の輸送を担っていました。秩父鉄道で現在走っている363号機は昭和19年に製造されたようで、主に仙台や釜石など東北地方で走っていたようです。
C58機関車は1960年から1971年にかけて津山駅にある津山機関区にも多数配属されました。
昭和42年には津山機関区の2両のC58形機関車が全国植樹祭の際の「お召し列車」として整備
され姫新線を走りました。
秋晴れのなか、秩父路を走る蒸気機関車は本当によいものでした。
秩父鉄道は本数が少ないですが、貨物機関車を走らせているのでレールも丈夫ですし、トンネルがなく、急な勾配も少ないため蒸気機関車を走らせるのにもってこいといえます。
沿線の風景も駅舎もノスタルジックで旅情を感じさせます。
例えば津山から中国勝山とか津山から美作江見まででディーゼル機関車でもいいのでパレオエクスプレスみたいな列車が運行されませんかね。
その時にはパレオパラドキシアにあやかった列車名を名乗ることできるかもしれません。
鉄道唱歌と津山線
こんにちは
新型コロナウイルスによる緊急事態宣言が解除されて、行楽に出かける人も増えていますね。
移動手段として鉄道を使う人がこれから再び増えていってほしいです。
JR西日本は乗り放題のどこでもきっぷ・関西どこでもきっぷを発売中です。
津山線全線と姫新線の姫路ー津山間は関西どこでもきっぷのエリア内にもなっていますね。
(因美線の東津山ー智頭もエリアに加えてほしかったと思うのは私だけでしょうか)
この秋、美作地方への観光客が増えればいいなと思います。
さて「鉄道唱歌」ご存知ですよね
鉄道唱歌は明治33年(1900年)に発表された曲です。
当時、美作地方には今の津山線(当時は中国鉄道)が開通していました。
もちろん津山線は唱歌に歌われることはありませんでしたが、山陽編の10番でこのように歌われました(山陽本線は当時は山陽鉄道)
♩播磨すぐれば焼物の 名に聞く備前の岡山に これも名物吉備団子 津山へ行くには乗り換へよ
その9年後の明治42年(1909年)、鉄道唱歌として「山陽線唱歌 汽車」が発表されます。
明治39年に国有化された山陽本線(神戸ー下関)をより詳しく紹介した52番までの歌ですが、この22番で現在の津山線と吉備線がこのように歌われました
♩中國鐵道にのりかへて ゆくには二つの線路あり 作州津山に遊ぶべく 吉備津の宮にも詣づべし
吉備線は明治36年に開通しているので、ここで歌詞に加わりました。
そしてあまり知られていませんが、津山市史によると「中國鐵道唱歌」なるものが存在したといわれています。誰が、いつ作ったのかは不明で歌詞は以下の通りです
けふの天気をさいはひに 中国線の汽車に乗り
煙残して岡山を あとに玉柏、野々口や
鉄橋渡れば作州路 しあはせよしや福渡
弓削の焼酎名も高く つぎは美作誕生寺
源空上人の出生地 名さへめでたき亀の甲
久米の皿山さらさらに 名残も尽きぬ津山駅
川の向ひの津山町 千代とことほぐ鶴山に 城跡残りて名もゆかし
蒸気機関車は走っていませんが、明治以来、線形が変わらない津山線
岡山から乗れば今もほぼこの通りの車窓が見られますね。(弓削の焼酎は廃れましたが)
津山線は今でも地元の貴重な公共交通として活用されています。
ノスタルジックだけでなく、新型車両なども導入するなど利便性をもっと向上させて末長く残してほしいものです。(写真はちょっと昔の津山線です)
芸備線存続の危機と因美線
こんにちは
芸備線の存続に向けて、10月8日に広島県と岡山県、新見市、庄原市及びJR西日本が利用促進策を協議したとのニュースが報じられていました。
岡山県側は駅から接続する乗合タクシーの導入やバスの時刻変更などが提案されたとのことですが、バスの接続などは「なぜ今頃?(=もっと早くできたのではないか)」と不思議に思うものです。
そして芸備線の存廃問題は新見や庄原方面の問題であることは確かなのですが、美作地方の姫新線や因美線もすでに「人ごとではない」状態に瀕していることも忘れてはいけません。
今日は岡山県内の芸備線と因美線の駅の1日あたりの乗車人員について、平成元年度と平成30年度の比較したものを紹介します。(出典は岡山県統計年報)
坂根 H元 普通 5 定期 9 H30 普通 0 定期 2
市岡 H元 普通17 定期 30 H 30普通 1 定期 7
矢神 H元 普通20 定期 49 H 30普通 0 定期 9
野馳 H元 普通40 定期 74 H 30普通 2 定期22
高野 H元 普通31 定期 75 H30普通 2 定期31
美作滝尾 H元 普通33 定期175 H30普通 2 定期28
三浦 H元 普通19 定期103 H30普通 3 定期11
美作加茂 H元 普通87 定期188 H30普通 8 定期56
知和 H元 普通 9 定期 24 H30普通 0 定期 4
美作河井 H元 普通15 定期 58 H30普通 0 定期11
いずれも30年間で大幅に利用者が減りました。今回は紹介していない姫新線や津山線でも同様の傾向は見られますが、大きなウエイトを占めていた定期利用の大幅減が響いています。
これは沿線の特に若い世代の人口が減少していることを如実に示しています。ちなみに平成元年はいわゆる団塊ジュニア世代が高校生の時代でした。過疎化は進行していても学生の人口はそれなりにいたのです。
普通利用(乗車券を購入しての利用客)は芸備線だけでなく、因美線の鳥取との県境区間でも1日平均が1人に満たない駅が発生しています。秘境駅の木造駅舎で鉄道マニアには有名な知和、貴重な転車台が現存する美作河井です。
因美線の凋落の要因は、智頭急行の開通(1994)による津山線との直通運転の廃止や津山ー智頭間の減便が考えられます。多少時期がズレますが、1991年当時は、美作加茂駅に急行「砂丘」が上下10本全便停車していました。こうしたサービスがなくなれば当然利用者もいなくなります。
利用者が減れば当然、鉄道の本数は減りますし、鉄道の本数が減れば今まで利用していた人も利用しなくなります。この負の連鎖を断ち切らない限り、それほど遅くない時期に因美線も芸備線と同じように廃止も視野に入れた協議が始まるのではないでしょうか。
因美線が芸備線と同じような形でJRと協議する場合は、岡山県、鳥取県、津山市、智頭町の4者で沿線自治体協議会を作ることになるはずです。
高野から美作河合まで、H30現在でも1日141人の定期利用者がいることも決して無視できません。
存続を求めるのであれば、今のうちにあらゆる手を打つ必要があると思います。